くちびるにマァガレット











「他に、想い人が出来たんだ」
 
 

 我ながらなかなかの名演であったと思う。伊達に寮祭での主演女優賞(女優、と言うのが気に障るが)をかっさらったわけじゃあないのだ。役者になるのもまた面白いかもしれん。まあ、そんなものも想像の中でだが。
 何でも、今日は嘘をついて他人を笑う日らしい。そうでなくても人を笑う事なんざ日常茶飯事だが、と、内心思いながら、稽古から戻って来たばかりの土田の事を構ってみる。予想通りの無表情無愛想ぶりだ。少しは動揺でもするかと思ったのに、やはりこの男に良い反応など期待するもんじゃないな、餌食にするなら矢張りメートヒェンや火浦あずさあたりか。と、思いながら、次にどんな話をしようかと光伸は考えた。
「あれだ、今度から寮食は学生が担当するらしいぞ、北寮の代表には土田、お前も入っているから頑張れよ」
 嘘だが。
「…………。」
「……………。」

「…はあ、つまらん奴だな。もっと、「本当か」の一言くらい言ったらどうなんだ」
「……本当か?」
「…は?」
 本当かと言われたら、それは嘘なわけなのだが、あまりにも憲実の声が深刻みを帯びていて、今自分達が何の話をしていたのか忘れてしまいそうになった。
「何が…?」
「いやだから、お前が、」
「俺が?」
「お前に、…想う人が出来たというのは」
 そんなものが出来たもなにも目の前にいたりするんだが、何を言い出すんだこの男は。それより、着替えをしていた憲実の手がずっと止まっているが、服を着た方がいいんじゃないのかと思う。汗をかいたままで半裸で突っ立っていたらまず風邪を引くと思うが。まあこの男は風邪など引かないように出来ていそうではある。季節が変わり、だいぶ日が伸びたおかげで、寮の部屋には西日が差し込んでいて、晒された憲実の上体を赤く染めている。見なれたそれにもふと見蕩れそうになり…、……じゃなくて。
「……ああ!」
「ああ?」
「その話か!なんだそれならそうと。俺の想い人の話だったな!」
「………」
「それが、キネマ女優も真っ青の美人のメッチェンで」
「………」
 何だ、騙されているなら初めから言え。
「勿論気品器量気立ても良いと来てる」
「………」
 さて、どこでネタあかしをして憲実を笑い倒してやろうか。と、光伸は上機嫌にありもしないものへの賛美の言葉を紡ぎながら考えていた。
「あれほどの相手に巡り合えるとは、俺も、……思っ、て…?」
「………」
 気がつけば、憲実がじっとこちらを見ていた。気のせいだろうか、相変わらずの無表情の仏頂面の、とは、言えない。呆然としたような顔をして。
「土田?」
「、あ、ああ」
 光伸の問いかけに、憲実は弾かれたように瞳を少しまばたかせて、それから光伸から目を逸らし、ほんの僅か顔を伏せた。明暗の強い赤と黒が、肌の曲線に添って影を作る。
「………」
「………」
「金子」
「え?」
「金子、俺は」
「ああ」
「その、」
 本当にらしくなく、憲実が口籠っている。視線を泳がせたかと思えば、何か言いたげにこちらを見て、息を吸ってはみるが、言葉は出ない。こんな土田は初めて見た。むしろこれは一体誰だったろうかと思う程に。そして、この狼狽した様子の憲実の原因を、自惚れていいと言うのならば、だ。
「土田」
「…お前がそうなら、俺は、……、…いや、こんな事は俺の勝手なんだが」
 ああ、これは、ちょっと予想外の事だった。まずい、保ちそうにない。顔が熱くなったような気がする。
「つちだ」
「本当にお前が、」
「いや嘘だ」
「…………は?」
「嘘だからちょっとこっちへ来い」
「は?何…」
 どうにも居たたまれなくなって、早々に切り上げてやる事にした。それより何より、胸の奥が妙にむずむずしてかなわない。憲実が動かない様子だったので、ほんの数秒でしびれを切らした光伸が、椅子から立ち上がって憲実のほうへ近寄り、その身体に勢いを付けて押し掛かった。
「う、わっ!?」
 ドサリ、と大きな音を立てて、もつれるように寝台に倒れこむ。
「金子!おいっ、貴様危ないと何度も―――!」
 体勢を整えようともがく憲実の頭を、胸元にぎゅうと抱きしめて髪を撫でてやる。もうどうしようもなく可笑しくて可笑しくて、肩が小刻みに震えるのを押さえきれなかった。
 やがて、胸元から溜息と共にくぐもった声がした。
「……嘘なのか」
「ああ」
「…俺は、嘘は好かん」
「ああ、知ってる」
 顔を覗き込むと、憲実はまだらしくなく唇をへの字に曲げて、困ったような、拗ねたような顔をしていて、再び思わず吹き出してしまう。どうしてくれよう、かわいらしいことじゃないか、この大男が。
 それを言ったら、益々変な顔をするのだろうな、と光伸は思いながら、あやすようにその唇に自分のそれを重ねた。





memo既出のぷちSS。
恥ずかしいタイトルは後付けで。
嘘をつくはなしだからくちびるになんとか、にしようと思いました。
花なんてどっこも出て来ないですが。
マーガレットの花言葉は、嘘の無い友情/秘めた愛情ということで。