道標












「昼間、剣道着を纏っている時は高潔に見えたものだが」

 耳朶にぬるりと生暖かく絡み付くような吐息を零しながら、光伸が囁く。
「学生を教え導く立場のお前が、こんな有り様だとはな。もっとも、噂は充分に立っているようだが」
「………」
「…まあ、そんな人でなしな教員を俺は他にあと2人、知って、いるがな。全く、世も、末だ」
 言葉が段々と切れ切れになる。未だ衣服を纏ったまま、強く腰を押し付けられる。光伸もまた、反応を返し、誘うように揺れ、焦らすように引く。
「何だ、要やら繁やらとは敷地内で毎日一緒にいて、それでも足らんのか」
 潜めた声がくつくつと嘲笑う。若き政治家として権力を握りはじめようとしている光伸がこの場所を訪れるのはさほど多くはない。しかし時折こうして月村要のいる教授室を訪れ、戯れに第二倉庫へと憲実を呼びつける。主人の許可はとってきたのかと目を細める光伸は、つい、と衣服の上から指先で憲実の胸をなぞった。
 情交と呼ぶにはあまりにも感情の無い行為。
 もう何年も続いてきたそれに、全ての常識の概念は麻痺してしまっていた。
「か、なめから、褒美を貰ったんだよ」
「………?」
「ここと、ここに」
 言って、光伸は自分の頬と唇を指差して笑った。それが何の事なのか気付かないほど、憲実もこの関係を続けて来た訳ではない。
「報賞は、共有するべきか、な。彼の、しもべとしては」
「………」
 言われて、憲実は先刻光伸が指差した場所を遠慮も何もない動きで舐めとった。まるで犬が主人に甘えるように。頬を舐め、唇を舐め、光伸が唇を開いて舌を差し出せばそれを絡めとり、深く合わせた。
「……っ、ぁ、……さすがに熱心だな?」
 舌を引いて光伸が笑む。そんなに彼としていなかったのか、と問われ、憲実は首を振った。
「…久し振りだな」
「……は?」
「お前と随分会っていなかった」
「こっちは学園の中と違って平和でも暇でもないんだ」
「だろうな」
 憲実が一瞬穏やかに笑んだように思えて、光伸は眉を潜める。あの頃の、…何も起きる前の憲実がそこにいたような錯覚に、光伸の胸の奥がジリリと焦げ付くような感覚が起こる。
 駄目だ、駄目だ。
 自分だけが汚れているような、そんな思いは。どうあっても、お前には水の底にいてもらわなくちゃならない。そうじゃないと、自分が安堵できない。
 始まりから歪んでいた憲実との関係は、主人に選ばれた者として、特別なものを望んではならない。自分達の世界の中での遊戯でしかあってはならない。それを。
「規約違反、だ」
「…金子?」
「……ほら、折角遊んでやるんだ、さっさとしろ」
「かね」
 それ以上なにも紡がせまいと、荒々しく唇を塞ぐ。力を込めて噛み付けば、憲実が低く呻く。この口付けが甘やかではないように。奇妙な昂揚と裏腹に、内側を必死で冷やして行く。
 一度身体に欲を灯してしまえば、面倒臭い事は考えなくて済む。衣服を落とすのもそこそこに立ったまま繋がり、突かれる度に背中を押し付けた板壁が軋んだ音を立てた。暗い室内に、噛み合わない呼吸が響く。
「んっ、あ……っ!」
 光伸は出来るだけ顔を伏せ、腕を壁に宛てて自分を支える。憲実の背中に腕を回す事も、抱き締められる事もなく、ただ壊れた玩具のようにがくりがくりと身体が揺れる。焦点の定まらない視界の先に、繋がって濡れた下肢がぼんやりと映った。
 憲実が深く侵入して来ると同時に跳ねる、張り詰めた自身がやたら滑稽に見える。まるで中に穿たれた憲実の存在を悦んでいるように見えて、光伸は舌を打って自らの指を自身に伸ばした。雫を溢れさせる先端に爪を立て、ぬめりを拾って根元から何度も扱き上げ、即物的な快感だけに身を委ねた。
「あっ、あっ!んぅ…ッ、いい、気持ち、い…」
「………っ」
 耳もとで憲実が息を飲む気配がする。熱いほどの息が肩にかかったと同時に、何かが食い込むような痛みを感じた。憲実に噛み付かれたのだと理解して、光伸は肩口に埋まった憲実の頭に頬を摺り寄せた。
「………ん」
 なおもじゃれついているとは言いがたいような力で光伸の肌に歯を立てる。
 まあ一番最初のタガを外したのが要でのああで、いつまでも加減の術を知らないのだと言ったほうが良いのかもしれないなと、片隅で冷静に思いながら、好きなようにさせた。憲実は何を探しているのか何度も位置を変え、首筋の薄い肉を噛む。肌の上を歯が滑る感覚にぞわりと下腹が反応し、中の憲実を締め付けた。
 それを見計らったのかどうなのか、憲実は自身を弄る光伸の指に自分の指を絡めて滑らせた。光伸が自分で与えていた心地よい刺激以外を急に加えられ、光伸は驚いて高く声を上げる。
「え…? っうあ、あ…、ぁああっ!!」
 僅かに痛みを訴えるほどに握りこまれて上下に往復する憲実の手の中にある光伸の指。どちらの手から受けている刺激なのかも曖昧で、光伸はかぶりを振った。
 先端を指で乱暴に捏ねられながら、彷徨うように触れていた憲実の唇が音を立てて項を吸い上げる。
「ちょっ、と待て、あ、ひ…、っ」
 まるで陰茎を吸い上げられているかのような錯覚を覚え、光伸は腰を引く。 
「金子」
「!」
 逃げた腰を追い掛けるようにして憲実のものが内を抉る。もともと此処は壁際で、逃げられる場所などどこにもない。喘ぐばかりで浅く呼吸を繰り返し、閉じる事を忘れた唇からだらしなく唾液が伝う。
「あ…は……、はぁ、あ、あ!」
「…く、」
 尚も強く憲実に打ち付けられる。床についている片方の足はかろうじて光伸を支えているが、汗で擦れる度にぬるつく肌や、内股を伝う体液すらも刺激として感じ取り、いつ崩折れてもおかしくはなかった。
 押し上げられるように眦から涙が溢れた。愉悦か、そうでないかはどうでもよかったが、いつになく憲実は激しく光伸を苛む。しかし、「求められている」などという、甘ったるい予測はひとつも浮かばなかった。
 自分は憲実のものではないし、憲実もまた自分のものではない。そこにいるのは単なる盛ったヒトの雄が2匹というだけだ。
 そう、ただそれだけでなくてはならないのだ。
 なのに先刻から、頭の中でぐるぐるとひとつの言葉が回っている。

 この、焦燥は、なんだ。一体自分は何処に行きたい。

 道標など、最初からどこへも向いていなかった。


「…っ、っ、!」
 堪えるように息をつめる光伸を、何を思うのかも知れない憲実の瞳が覗き込む。
 その目に捕らえられ、思わず口をついて来そうになる言葉を、必死で摺り替えた。
「あ、ああっ、…せ、ん、せい」
「……」
「先生、だめ…だ、」
「……止めろ」
「…はは、そろそろ趣向を変えてみよう、かと」


 そうでもしないと、まるで恋焦がれるひとへ向けるような声色で、この男の名を呼んでしまいそうだった。


 先の道などひとつも開いてはいないのに。













よびごえの事を考えてたら「憲実先生」ってすごい萌えるなーと思って。